アービング・バビット『デモクラシーとリーダーシップ』試訳朗読166 (アーヴィング・バビット)

リーダーシップ

これは既に別の本などでも述べたことですので、繰り返し述べる必要はないのですが、このような古いヨーロッパの統一が失われたのは、最も一般的な意味で「批判的精神」と呼ぶべきものが台頭したからです。そして、この批判的精神はこれまで、個人主義の精神と同一のものでした。モダン(近代的)であるということは、実証的、批判的な態度をとり、物事を受け入れるに当たって、「個人より前の、個人の外の、個人を超越する」権威に頼ることを拒むことを意味してきました。今なお外の権威にしがみついている人たちと私は争うつもりはありません。私が主に関心があるのはそういう人たちではないのです。私自身は徹底した個人主義者であり、私のように断固として批判的実証に取り組んでいる人たちこそ、私が念頭に置いている読者です。実際、私がモダン人(批判的実証主義者)に反対しているのは、モダン人が十分モダンでないから、つまり、十分に実証的でないからです。自然法則に関わる領域においては、私が求める水準をモダン人がかなりの程度満たしていることは明らかです。フランシス・ベーコンなどには学者たちの先験主義、言語的な微妙さ、権威への卑屈な服従と映ったものに、実証的な観察という方法論が取って代わったことで、期待されていた成果が生み出されてきました。しかし、モダンの使徒たちは、人間の力と利益(効用)に奉仕するだけでは飽き足らず、古い秩序の要であった精神的な統一の原理に代わるものもあると主張してきました。この点において、モダン人は破滅的に失敗してきたのであり、このことは、モダン人の原則通り、実証テストにかければ明らかです。そして、モダンの流れによって、物質的には成功しならも、精神的には失敗した結果が、今の状況なのです。

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